【 戸井田さんのレポートです 】
2022年10月16日

94th. 浅間ミーティング
スピリッツオブ「黒い」オートバイ





素晴らしい晴天に恵まれた3年ぶりの浅間のデレガンス。今回のテーマは「黒い」オートバイ。オートバイといえば「黒い」ものというイメージが強かったけど,現代ではむしろ少数派。様々なバイクが集まりました。



1・サンビーム LION LONGSTROKE 598cc 1935年式

サンビームの歴史は、自動車や航空機産業用のラジエーター、シーガルブランドの2ストローク船外機、エナメル製品、自転車、そしてもちろんオートバイを製造する小さな企業の合併から始まりました。
サイドバルブ・ロングストローク・ライオンエンジンには492ccと598ccがありましたが、492ccモデルは、1921年のフランスGPでアレック・ベネットにより、デビューウィンを飾り、第二次世界大戦まで生産されます。

このサンビーム君は恥ずかしがり屋なのか、ウケ狙いなのか、皆の前に出ると、なかなか言うことを聞きません。オーナーさんは衆人環視の中、息を切らしながらキックすること数十回。やっと火が入った後はストトン、ストトンと、軽やかに走っておりました。



オーナーさんのリアクション、流石は関西人!努力が実って?今回のグランプリ。



2・ノートン MODE L 18  500cc 1947年式

ノートン Model 18の歴史は長く、1923年の発表から1954年の生産終了まで30年以上に及びます。
Model 18の最大の特徴はノートンで初めて採用されたプッシュロッド式オーバーヘッドバルブエンジンです。その後30年の間にはいくつもの改良が重ねられましたが、このOHVエンジンとリジッドフレームのコンビネーションは一貫して引き継がれました。

Model 18は戦後一時製造がストップしますが、その後1946年に、再開されます。そして翌1947年にはRoadholderと呼ばれたテレスコピックフォークが採用されました。そして1954年に製造停止となり、スイングアームを搭載した後継車Model 19が600ccエンジンと共に発表されます。

といった理屈は抜きにして、とにかく格好が良いよね。

何より凄いって、このバイクは1947年製だっていうこと。ドイツが降伏した2年後にはもうこんなのを作っていたという事。

1947年と言えば、日本国憲法が制定され、ペンタゴンとCIAが発足、ロズウェル事件が起こり、チャック・イエーガーが音速を超え、英国ではエリザベス女王が結婚した年。

そんな年にこんなの作ってた。それだけでも感動ものでございます。



ノートン乗りのおっさん達があーでもないの、こーでもないの。



3・目黒製作所 ジュニアS 2 249cc 1956年式

目黒製作所は1924年に東急目黒線不動前駅近くで創業、会社としては「鈴木鉄工所」として、1925年に設立、1926年から立地に合わせて「目黒製作所」を名乗るようになりました。太平洋戦争が始まると、被災を避けるため栃木県那須郡烏山町(現・那須烏山市)に工場を移します。(現在烏山には目黒のミュージアムがあります)

初めは自動車修理とオートバイ(トライアンフ)の部品製作を行い、1932年にエンジンの製作を開始、1937年、最初のメグロ号・Z97を発売し好成績を残します(4ストローク、単気筒、OHV、500 cc)。大戦の激化とともにオートバイ製造は中断、航空機の部品を製作するようになります。

戦後は再びオートバイ事業に戻り、免許制度の後押しもあって最盛期には、このS2を含む250ccシリーズが大ヒット。

メグロの 250のエンジンは、オート三輪で有名な「くろがね」の創業者が設計。S2ではこれまでの3速に代わり、4速ロータリーミッションが初採用されます。ロータリーミッションはメグロの発明だったんですね。



今でも充分実用に耐えるようで、会場では軽快にシュトトンシュトトンと走っていらっしゃいました。


4・目黒製作所 スタミナZ7 500cc 1956年式

戦前から続いたZシリーズの最終発展型がこのZ7。短気筒500cc OHVのZシリーズも好評で、一時期はSシリーズとZシリーズ合わせて年間15,000台を生産し、浅間火山レースでもセニアクラスでメグロRZが1位、2位、4位、5位を独占するなど、日本のトップブランドでした。

Zシリーズは、カワサキWシリーズの原点となる、500ccバーチカルツインのKシリーズへと発展。トライアンフとの関係もあってか,元々メグロは、大型バイクが得意。でも世の中は小型車ブーム。ホンダに代表される戦後のメーカーに押されて、業績が悪化。川崎航空機工業(当時)と提携する事になります。ところが提携してはみたものの、メグロとカワサキでは賃金格差があり労働争議が起こるなど、上手くいかない。カワサキがメグロの作ったバイクを全車買い取るなどの、対策を打ったけれども業績は上向かず、カワサキが出資して「カワサキメグロ製作所」を設立するものの結局1964年に倒産。カワサキが借金を全部肩代わりしてブランドを継承することになります。カワサキ太っ腹!と思ったら、東京オリンピック用に白バイのバックオーダーが500台分残っていたからだそうで、その白バイ「メグロスタミナKP」が、横浜で最後に作られたメグロ(作ったのはカワサキ明石工場からの出向社員)と言うことになります。

その後明石で作るようになってから、徐々に人気を回復して、現在のWシリーズに発展していくのだから、



カワサキが現行のWシリーズを企画・デザインしていたころ、浅間の古い会員さんなら誰でも知っているトライアンフの大御所。故浅場氏の所に一本の電話がかかってきて、古いトラが1台欲しいと言う「どちら様ですか?」「カワサキです。」「どちらの川崎さんですか?」「明石のカワサキです。」ってな会話があったとか無かったとか。

このZ7と言えば、なんと言っても元名古屋の親方。ある日の浅間ミーティング。北軽にはついたけど宿に入るのはまだ早いので、少し近所を走ろうかな、と思って妻恋へ向かう交差点。曲がったととたんにメグロのおっさんが手を振っている。親方です。その後鬼押ハイウェイの浅間耶麻ビューポイントに向かうと、またメグロのおっさんが手を振っている。親方です。まだ時間がありそうなので白糸の滝でも、と思って走っているとまたメグロのおっさんが。一体親方は何人いるのだろう?



5・ホンダ ベンリイJ C 5 8125cc 1957年式

戦後はメーカーの小型車の代表、ホンダベンリイ。そのJ系の最終モデルがこのJC。OHV短気筒の125ccで9.5psフロントはオイルダンパー付ボトムリンクです。


この頃のホンダは実用車系がベンリイ。スポーツ車系がドリーム。実用車たるベンリイは、サドルシート、リアキャリア、フルチェーンカバーがデフォですよね。


6・ホンダ ベンリイC92 125cc 1961年式

同じ 125cc実用車といってもこちらは2気筒OHC。馬力も11.5psにアップ。いわゆる神社仏閣型と言う奴ですが、個人的にはどこが神社仏閣なのか今ひとつピンときません。たった4年で随分複雑な構造にはなっているのはわかります。

ところで後ろに積んである箱?古いチューブ切って作ったゴムで荷台に縛り付け、上にネットかけて商品を運ぶもの、メーカーが宣伝を兼ねてただで配ったもので、私事ですが、父が田舎で化粧品雑貨の問屋をやっていた関係で、家にはゴロゴロしてました。結構痛むのですよ、これ。牛乳石鹸の他にもペリカン石鹸、花王とかね。取っておいたら欲しがる人も結構いたかも知れませんね。


7・ホンダ CB450 KO 444cc 1967年式

1965年に発売されたホンダ初の大型車。CBシリーズのフラッグシップモデルとして当時の意欲的な最新技術満載の、通称クジラタンク(海外ではキャメルタンクと呼ばれる。)です。450ccという半端に見える排気量は、当時最速と言われた、OHV650で46psのトライアンフT120ボンネビルに勝つには、450ccで充分だ、といういかにも当時のホンダが好きそうな目標から生まれたサイズ。そのため,当時オートバイ初のDOHCとし、ヘッドとシリンダーブロックをアルミ合金製、CVキャブを搭載。他にも最新技術を満載して444ccから43ps。4速で0→400m/13.9秒・最高速度181.96km/hをマーク。

何でこんなに熱く語るかと言えば、この次の45psモデル。通称K1が、私が大学時代をともにしたバイクでして。貧乏学生を見かねた今は無きホンダSFのメカさんに、手取り足取り教わりながら始めてバラしたエンジンだからなんです。

CB450はK1以外にも、メタリックカラーのエキスポート、フロントディスクブレーキのセニアスクランブラータイプ(このサイズと重量で?)のCL450、白バイ使用のCB450Pなど、バリエーションは色々です。



やっぱりデザインはクジラが一番かなあ。ハーフカウルでも付ければ今でも充分いけると思います。そうそう、このエンジン、4輪のN360のエンジンのベースになってます。さすがにDOHCではないけれど、クランクケースやクラッチまわりの外観は、そっくりですよ。

450で充分と言っていたホンダが4年後には世界初の750を発売するという手のひら返しをやっちまうのもホンダらしいと言えばらしいよね。


8・ホンダ CB750 (RC42 ) 747cc 2003年式

CB450の発売から4年後、世界に衝撃を起こしたDreamCB750が発売されます。メインターゲットだった北米市場では、確かに早いけどギャンギャン回して走るより、ゆったりのんびり速いのが良い。という要望が多買った所に、TRIUMPHが750作っているとの噂が広がった事もあって,開発に踏み切ったという話があります。それで、出来上がったのが、世界初の公称最高速度200km/hという化け物。世界中でブームを起こし、日本国内でのメーカー自主規制として750ccが上限とされるなど。「ナナハン」という社会現象を起こすまでになります。

当時は,自動車専用道路以外ではノーヘルOKでしたから、夏場はみんなノーヘルではっしりまわってました。今思えば恐ろしい話。

このCB750Eエンジンが、第1世代。1977年まで生産されますが、DOHCの他社モデル(Z2ですね)に押されて売上ダウン。そこでCB750EをベースにDOHC化されたエンジンを積んだのがFZ(RC04)Z2同様900ccのダウンサイジングですが、ここでは750のお話し。「ナナハンライダー」が「バリバリ伝説」に進化したわけですね。

FZはFA,FBとなり、84年のFDまで進化します。その頃のホンダの主体は,カウル付きのCBX750, V4のVF750に移っているのですが、ネイキッドモデルの需要も高く、ナイトホーク750(RC39)を750台限定販売。その後を継いで、2008年まで生産されたのがこのモデルRC42。エンジン形式RC17Eという事になりまっす。ああ、長かった。

この車両は浅間のWEB担当北村さんの愛機の1台として、忠実な足となっています。自身、第1世代のCB750Fourも所有されてはいるのですが、やはり寄る年波には勝てず、トラブルも心配なのでこちらが主力になっているようです。


やっぱり「ナナハン」というのはマジックワードですよね。元々は開発時の社内通称だったそうですが、900でも1100でも1300でもなく、「ナナハン」ですもんね。


9・ホンダ CB750Kサイドカー皇宮警察736cc 1974年式

皇宮警察の桐の紋章も輝く、退役したサイドカーの1台。これは左カーですが,右カーとワンセットで、御用車両の左右を固めた1台です。年代的にはK5の頃ですが実際はわかりません。当時は公用車専用の払い下げ業者があって、赤灯などの特殊装備を外した状態で廃棄になった車両が手に入ったのだそうです。確かに元覆面パトカーを持っていらっしゃる方もいましたね。


浅間ではおなじみの車両で、私がサイドカーで参加していた頃は良くご一緒させていただきました。さすがに安定していて、カー側の乗り心地も良さそうです。私のは,カーに乗るのはかなり苦痛だった様ですが。


10・ホンダ ビート50 49cc 1983年式

なんだかそのまんまウルトラ警備隊にいてもおかしくないようなデザインですが、2輪車初満載のスクーター。先ずは水冷2ストローク短気筒。MFバッテリー。2灯式ハロゲンヘッドライト。これ全部2輪初。さらにV-TACSという排気デバイスを搭載してます。これは、高速用のメインチャンバーの他に、低速用のサブチャンバーを持っていて、左側にあるペダルを踏むと、サブチャンバーが閉鎖されて高速仕様になるというもの。これが作動すると、バリアブルパワーインジケーター(まあ、ただの赤ランプなんだけど)が点灯するという、オタッキーなギミック感に溢れる仕掛け。これが自動じゃなくて手動(足動)というのも、まるでアメ車に良くあるスーパーチャージャーかニトロのスイッチみたいですね。ただ、単なるギミックでは無く、はっきり体感できる効果はあるみたいで、当時の「モトチャンプ」なんかに「こうすれば体感できる」みたいな記事が載っていたとか。


注目すべきなのは、これを40年快調に走らせている、という事。この年代の原付スクーターといえば、買ったときからろくにメンテもせずに、全開、全開、また全開、飽きたらポイ。といった使われ方が殆どで、作っているメーカーも、オーバーホールして長いこと使う。なんてことは想定さえされていない。それを長いこと乗り続けるって結構大変だよね。

当時のオプションリストを見ていると、今のカスタムビグスクの走りみたいなパーツが並んでいて楽しいのですが、「ランチボックス・7,000円(当時)」ってなんだろう?7,000円の弁当箱?


11・BMW R90/6 898cc 1974年式

BMWのRシリーズは、BMW初の2輪車1923年のR32から、現在まで延々と続くシリーズで、来年が100周年という息の長いシリーズ。共通したスペックとして、水平対向2気筒シャフトドライブ。長いこと空冷でしたが、最近水冷が出た。DOHCのモデルもあるので、OHV縛りもありません。Rが付く短気筒モデルもあるけど、小排気量のミュンヘナーだから良しとしちゃいます。73年発売のR90/6は、70年にR100が出るまでは最大排気量のフラットツイン。スポーティーさは少ないものの、後のR90Sのようなゴリゴリしたところの無いバランスの取れたモデル。長距離旅行というBMWにとって最も得意なシチュエーションにはぴったりのモデルです。

オートバイメーカーにとって最大の市場は、北米。日本車の恐るべきスペックに市場を引っかき回されたヨーロッパのメーカーの中には息絶えちゃったものもたくさんあるけど、こういうバイクの良さが受け入れられるようになって欲しい。それが熟成というものでしょう。


12・ハーレーダビッドソン FXD SUPERGLIDE 1584cc 2010年式

さて、その北米でバイクと言えばハーレーダビッドソン。大恐慌を生き抜き良しも悪しくも、もはや文化とも言うべき存在。

アメリカの広大な大地をひたすら真っ直ぐ,真っ直ぐ時速55マイルで延々走り続けるためのオートバイで、砂漠のど真ん中でトラブっても、田舎のガソリンスタンドの爺様でも直せるOHVツイン、別体ミッション。排気量ほどのパワーも無く、振動の塊みたいなオートバイ。ってイメージありません?私はそうでした。実際AMFに買収されていた時代は、品質がひどくて国内のファンからも「豚バイク」なんて呼ばれていた時期もあったのだけど、後を引き継いだ経営陣が有能で、現在ではイメージ戦略も含めて成功を収めつつあります。それが証拠に、このFXDに積まれているTWIN CAM 96というエンジン。同じVツインでもDOHCでインジェクション。1,600cc(96キュービックインチです)というスペックはけっして古典的とは言えません。

あと、トランプと大喧嘩やったって言うのも個人的には得点高いです。

最後にちょっと異色の2台


13・カワサキエストレヤ 213cc 1993年式

カワサキが、前出のメグロのSシリーズをモチーフに作ったエストレアをさらにオーナーが自分好みにカスタムしていったオートバイの現在の姿がこれです。カワサキのレトロシリーズの是非はともかく、人気はそれなりにあるみたいです。実は以前家に大あったのだけれど、扱い易いけど、ちょっと重たいかな?という印象でした。

その先のカスタムについては、これは完全にユーザーの好み。オートバイの楽しみ方ってのは千差万別で、基本的に自己満足の世界ですから、まわりがどうこう言うものではあいませんので、ノーコメント。


14・SCHWINN (改) MOPED仕様 49cc

シュウィンというのはアメリカの自転車メーカー。特にこのデザインはその昔大流行したらしく、アメリカの骨董品発掘番組で何回か見たことがあります。オーナーさんは、この自転車を見ていてなんとなくやりたくなって、適当なエンジンを見つけてきて、フルスクラッチで1から作っちゃったというのだから、只々脱帽です。


単にエンジンを積むだけじゃ無くて、全体的にアメリカン・ボードレーサー風の仕上がりにはセンスの良さも感じられます。走りも軽快で、思ったより速いな、という印象。本当にバイクの楽しみ方も色々だなあと思わせてくれました。


「スピリッツ・黒いオートバイ」に参加した14台でした。」最後は恒例の集合写真を撮るカメラマンの集合写真でお別れです。長々お付き合い頂きありがとうございました。

終わる