83rd. 浅間ミーティング・コンクールデレガンスのバイク達
今回は参加しちゃいました・その1

〜 戸井田さんのレポートです 〜



まるで真夏のような晴天に恵まれた5月のミーティング。デレガンスは、エントリー総数30台。出場28台と盛況でした。
今回は私もサイドカーで参加しちゃいました。その為今回の画像は殆どが頂き物です。写真を提供してくれた皆様ありがとうございました。


ホンダ CZ100 49cc 1964年
1963年に発売された、ホンダの広報によれば、モンキーシリーズの最初のモデル。となっているけど、1961年のモーターショーに出たZ100が最初なのでは?
Z100とは別物の前後リジットのフレームにカブC100のエンジンと、スポカブC111のシートとタンクを載せたのがこのCZ100.
とは言え、詳しい資料はホンダにも残っていないらしく、何台作られたかも良くわかっていない超レアモデル。
多分、面白いから試しに作っちゃえ、って現場が勝手に作っちゃったものが、正式採用されたって言う、昔のホンダのノリで出来ちゃったんじゃあ無いかしら。4輪のビートもそうだって言うし。
C100のエンジンそのままなので、モンキーシリーズ唯一のダウンドラフトキャブが付いてます。その上、カブと同じ4.3ps!Z50Aでも2.6psなのに。最強のモンキー?
チャームポイントは小さな小さなサイドスタンド。


ホンダ モンキー Z50M 49cc 1967年
海外でしか販売されていなかったモンキーですが、「国内でも売って!」と言う希望に応えて67年に国内販売を始めたのが Z50M。
エンジンこそOHCになったけどフレームはリジットでタイヤは5インチ。でも、折りたためるハンドルと、密閉出来るタンクキャップが付いて、車のトランクに入れて持ち運べるようにはなりました。
ちなみに、最後のモンキーになると噂の50周年記念モデルの、50周年というのは、国内販売が開始された、67年が起点になっています。


ホンダ モンキー Z50Z 49cc 1970年
その後、69年のZ50Aを経て、70年のZ50Zへ進化。タイヤが8インチになって、バッテリーも付き、フロントサスがテレスコビックに。といってもダンパー機構は無く、スプリングも片方にしか入っていなかった。(両側に入っていたとの情報あり。私のは片方だけだったけど。)インナーチューブには滑りをよくするためにグリスが塗ってあるだけだから、油がしみてもオイルシールが破けたわけではありません。初めから付いてませんから。
また、クランクハンドルをくるくる廻すだけでフロントフォークが外せるようになりました。
私事ですが、でっかいデブはちっちゃい乗り物が大好きで、モンキーも何台か所有してました。モンキーで走っていると、車体が見えずに身体だけが走って来るように見えるから止めなさいと言われつつ。


3台揃ってのエンジン始動風景が可愛い。


東京発動機(トーハツ) ランペットスポーツCA2 49cc 1962年
トーハツと言われると、オートバイより、船外機って感じもしてしまうのですが、1955年頃は、125ccのPK55でオートバイの国内トップシェアを誇るメーカーだったんですね。
それもつかの間、実用車中心のラインナップでは徐々にシェアを落とし、起死回生を狙った50ccのスポーツモデルがCAそして61年発売のCA2という事になります。
フロントのメーターカウルやゼッケンプレート(ちょっとした小物入れになってます。予備のオイルぐらいは入りそう。)ブルーのカラーリングと言った見かけだけで無く、中身もスポーティー。相当パワフルでピーキーだったようです。当時のカタログには「〈最高出力=6.8馬力〉世界中どこをさがしてもこんなに高出力の50cc市販車はみあたりません〈最高速度=100km/h以上〉このめざましいスピードが〜」と景気の良い言葉が並んでいます。
水戸のご老公、カブ以外でデレガンスにやってくるのはお久しぶりかと、ご老公1935年生まれの御年82歳+CA2は1962年製で55歳合計137歳


ホンダ リトルホンダ PC50R(PC50改) 68cc 1969年
1966年にペダル始動、リアホイール内OHVエンジンでカブFなどの発展系として登場したのがP25。女性を意識してちょっとお洒落な「原付」。
それをさらに発展させ、出力を1.2psから1.8psへ、最高速度を30km/hから50km/hに向上させると共に、よりオートバイに近い構成に進化したのがPC50なのですが、車名にRが付いて排気量も68cc?
実は、81回のデレガンスでえ話題をさらったツインエンジンのPC50と一緒にカスタム。ボアアップだけで無く、外観もスポーティーに改造。良い感じに走ってました。


タイホンダ ドリームスパーカブ タイプX 124cc 2016年
タイカブ、タイカブって言いますが、今や新車は全てタイカブ。販売の主力はアジアで、国内で売れないからしょうが無いとはいえ、ちょっと寂しい。
浅間の名物男の1人である、オーナーさん。記念館のメンテや何やらで、大変お世話になった方ですが、ご家庭の事情で、長年住み慣れた名古屋から、九州の方へ引っ越されるとのこと。「浅間に来るのも難しくなっちゃうかもなあ。」と、これもちょっと寂しい。飛行機も新幹線もあるから、たまには遊びに来て下さい。


岡本自転車 ノーリツモーターバイク 60cc 1954年
岡本自転車と言われて思い出したのが、陸王の軍用サイドカー「九七式側車付自動二輪車」を生産していたことを、RX750の走行会の時に知りました。
こいつは。いわゆる「原動機付自転車」。現在の道交法もこの時代の「原付」のしっぽを引きずっているようなところがありますよね。
オーナーさんは「名古屋TT」から、ご自身で「名古屋郷土二輪館」という地元にこだわったミュージアムを自宅に作られた方。
そういえばホンダのAやFのベースに「能率」が使われていることが多いのは気のせい?


みづほ自動車 みずほMJ 249cc 1955年
みづほ自動車製作所と言えばキャブトンですが、キャブトンブランドは350cc以上。250cc以下は何故かみずほブランドで販売されていました。
MJは1955年に発売された初の250cc。画像を見ると判りますが、2気筒500ccのキャブトン500のエンジンを半分にしたOHV。
って言うのは、自分で書いた79th.ミーティングのBlogからコピペ(笑)。あの時のグランプリでした。自走にこだわって、今回は3回目の参加になります。
みずほMJは資料が少なく、ネットでググったら、自分の書いた記事しか出てこないというお粗末でした。


丸正自動車製造 ライラックUY 242.4cc 1956年
ライラックの魅力と言うのは、そのデザインの斬新さや先進性にあると思うのですよね。当時の当たり前、無難なラインから外れて、一つ突き抜けた主張があると思うのですよ。
例えばベビーライラックから繋がるクランクケースの形状。メッキでありながら、独特のデザインのタンク。昔の怪獣が出てこない東宝特撮シリーズや、プラモの箱絵のようなデザインに見えませんか?
今の時代に生き残っていたらどんなバイクを作っていたのだろう?想像すると楽しいですね。


ホンダ ジュノオM85カスタム 170cc 1962年
「チョッパー」というのは、古いバイクのいらないところ、錆びたところを次々「チョップ」していって、残ったバイクが格好良い。と言う事らしいのですが、そういう意味ではまさしくジュノオのチョッパー。余計なものは何にも付いてないし、フロント周りも別物だし。
古い部分は取っ払って、新しい部品はどんどん使う。と言う点では、オーナーの言うように「ラットロッド」かも知れません。


周りに何にも無いと、複雑なエンジンやミッションが良くわかりますね。オーバーヒートには縁がなさそう。


NSU MAXスペシャル 250cc 1956年
4サイクル250cc短気筒とだけスペックを言えば。で?って言われそうだけれど、そこはヴァンケルエンジンを世界で始めて実用化したNSU。普通じゃありません。
バルブを駆動するのは、カムとプッシュロッドじゃなくて、何とコンロッド。偏心しているからカムの働きもするし、プッシュロッドより重たい分フライホイールもいらない。その分加減速はスムース。複雑だけどメカノイズも少なく、新車当時は5万キロ保証付きだったそうです。
さらにエンジン本体をフレームの一部とする構造など、見かけによらず先進の塊。さすがはNSU。
NSU・Ro80のデザイナーがクラウス・ルーテだというところもお気に入りのボイント。身贔屓ですいません。これは4輪の話でした。m(__)m


ホンダ NS250F 249cc 1984年


ヤマハ RZ250RR 249cc 1984年
この時代の「レーサーレプリカ」は、500ccGPマシンの技術をいかに250の市販車に盛り込むか?という事の争いでした。
何だか良くわからない名前の機能満載で、いわばスペック競争。公称エンジン出力は、全メーカー当時の自主規制値いっぱい。とにかく速かった。
次から次へと新しい機構がどんどん取り入れられ、タイヤサイズも皆バラバラ。消耗部品も多種多様。統一規格なんて考えはまるで無かった様に見えます。
この2台はその時代のヤマハ代表とホンダ代表ですが、そんな訳で30年以上たった現在も当時のコンディションで維持していくのは違った意味で大変でしょうね。
良い時代でした。同時に「2輪車通行止め」の峠がやたらと出来る原因をつくった時代でもあるのですが。


カワサキ 750RS 746cc 1974年
さて、「ゼッツー」です。伝説の「ゼッツー」です。多分車名とイメージが先行して、あこがれの対象になったオートバイとしては、「ナナハン」以上の人気だったんじゃあないかなあ。
当時から誰にでも手に入るバイクじゃあ無かったけど、今や程度の良い中古は数百万の値が付くし。
私の世代には。まさしくど真ん中のモデル。コンチハンにヨシムラの手曲げ集合が付いた「ゼッツー」が仲間にいて、当時の相棒はCB450K1。仲間にはCB500FourやT500、RX350がいた時代。それまで大型バイクというとホンダしか乗った事が無かったんだけど、乗せてもらってその剛性感に驚いたのを覚えています。当時はいくらでも寝かせられる気がしましたね。今思えばリッターバイクのフレームに750だから「シャーシの方が速い」って状態だっただけなんですけどね。
何故か当時はこいつのサイドカバーが大人気。あっちこっちで盗まれたものでした。
実は後年記念館に展示してあった750RSからサイドカバーが盗まれたことがあります。諸事情あって話題にはしませんでしたが、もう時効だよね?
ところでZ750RSと言うモデルは存在しません。750RSだけです。若い衆向けのうんちくとしてお使い下さい。


ヤマハ GX750 746cc 1977年
このバイクを語るには、私より遙かに適任な三発隊隊長と言う方がいらっしゃいます。きっと今頃これを読んでいるだろうから、ビクビクドキドキなんですが、足らないところはコメントいただけるだろうと期待しつつ。個人的なイメージだけ語ります。
世の中はナナハンブーム。とにかく750というマジックナンバーを持たないと、メーカーとしての沽券に関わる。と言った空気に満ちていました。
そんな中、CB750Fourに遅れること3年XS-1で実績のあったOHCツインのTX750を世に出すのですが、こいつが大不評。乗せてもらう機会があったのですが、750としてもとにかくデカイ。20代の頃の私でやっとこさ。走りはひたすらトルクのオバケ。シュワンと加速はするものの、4気筒の吹き上がりにはかなわない。バランサー付きのエンジンはOHCツインの味も無い上に、オイル漏れやらオーバーヒートやら。
そこでヤマハさんは一歩引いてじっくり考えた(んだと思う。筆者の想像)ホンダでもカワサキでも無い、ヤマハのフラッグシップたる750は何だ?と。そしてTXからさらに3年1976年に生まれたのがGX750。
一目でヤマハとわかるデザイン。マッシブなエンジンだけど、エンジンだけが主役では無いと言う主張が、今でも新鮮です。120度クランクの等間隔爆発3気筒なのにスムースに回るエンジン。横置きエンジンにシャフトドライブと、エポック的なメカニズム満載の魅力的なオートバイですよね。
(余計な話だけど、ある方との思い出と共にGSX750アカカバも好きなナナハン。)


ホンダ GB500 ツーリストトロフィー 499cc 1986年
ノートンマンクスやAJSの短気筒の時代から、現代のモトGPにいたるまで、レースの世界ではTopカテゴリーであり続けた500cc。でも、日本国内では免許制度のおかげでとっても微妙な立ち位置になっちゃった500ccでもあります。
そもそもなんで中型免許?それも何で400cc?何で500ccで切らなかったんだろう?面白いバイクが多い排気量なんだけどなあ。例えば、英車だけじゃ無くて、R50やマッハがが中免で乗れたら。素敵な世の中になるとは思いませんか?
GB500の話でした。我が家でも曰く因縁付きのクラブマンの250が1台腐ってますが。(誰かもらって!)この短気筒4バルブのエンジンは、カブ系OHC以上に、ホンダとしては珍しく使い回されまくってるエンジンですよね。オフ系でもSL250Sから、ファラオの600まで、オンもオフもいっぱい。ロードスポーツに載せるとおさまりがよいんだよねえ。このエキパイ2本の短気筒。個人的にはSRよりずっと好き。まとまりが良い分カスタムしにくいのかも知れないけれど。

その2に続く。
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